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・密室傷害事件のひみつ
登場人物紹介
博士 ・ 蟹太くん ・ 通子ちゃん ・ ボートノレレ
博士 :何でも知ってる偉い人。
蟹太くん :好奇心旺盛な少年。わりと頭が悪い。
通子ちゃん:蟹太くんの友だち。わりと性格が悪い。
ボートノレレ:少年探偵。蟹太くんのライバル的存在。
「これは、密室というんだ」
蟹太が言った。
*
七月のはじめ、梅雨の合間の、快晴の日――
通子が博士の家へ遊びに行くと、事件が起きていた。
最初は――そう、
いつものように玄関のチャイムを鳴らそうとすると、
それを待っていたかのようにドアが開いたのだ。
ドアの隙間から顔を出したのは蟹太だった。少年の顔は、
血の気が引いて、午後の日差しの下で病的なまでに白かった。
「通子ちゃんか――。まあ、入りなよ」
そういうと蟹太は戸口の奥へと姿を消す。
他人の家とは思えない言いぐさだが、それはいつものことなので通子は
気にとめない。
だが――
蟹太の声に含まれた、わずかな震え、そして、まるで意志の力で無理矢理
押さえつけているかのような低音に、通子は胸騒ぎを覚えた。
玄関に入り、靴を脱ぐと、奥行き5mほどの板張りの廊下がある。
左手は二階へと続く階段。廊下の右壁にはドアが二つ。
手前が居間にして食堂にして台所でもある部屋。奥が洗面所、そして風呂場。廊下の突き当たりに
もうひとつドアがあるが、それはトイレだ。
登り階段の裏、トイレのドアのほうからは、こちらからは見えないが、
地下の研究室へとつづく下り階段がある。
蟹太の声が手前の部屋から通子を誘った。
「どうしたの? ――入りなよ。外は暑かったろ。今、冷たいものでも出すから」
勝手知ったる他人の家。通子は手前の部屋の、開け放たれた戸口から中へと入った。
蟹太が、塗れた手を手ぬぐいでたんねんに拭いてから、それを流し台の上に放り投げ――
通子は、食卓の椅子に腰をかけながら、その光景を眺め――
蟹太は、冷蔵庫から麦茶の入った容器を、戸棚からガラスのコップを、それぞれ取り出し――
通子は、東向きの窓から入る午後五時の陽光だけが光源の、戸外のまぶしさに慣れた目には
薄暗すぎる部屋が、急速に現実感を失っていくのを感じ――
蟹太は、コップに注いだ麦茶に冷凍庫から氷を追加して――
通子は、壁掛け時計が秒針を刻む音が、なぜこんなに大きく聞こえるのかと考えていた。
*
それから30秒。
「博士はどうしたの」
通子が尋ねる。出された麦茶には、まだ口も付けていない。
さらに20秒ほど、秒針の音だけが部屋を支配した。
「うん、――それなんだけど、ちょっと来てくれるかな」
蟹太が席を立つ。
なにか、知らなければいいような出来事が進行している――
通子は確信していた。何か事件が起きている。
蟹太は、振り向きもせず、足音だけで通子が追ってきているのを確認しながら、部屋を出て、廊下を右に曲がり、
突き当たりをぐるりとまわって、地下への階段を下った。
地下。地下室。地下には二室があり、間取りは一階の造りとほぼ同じだ。
廊下の真下には廊下。居間の真下に研究室。洗面所と風呂場の真下が倉庫。
トイレの真下には掃除用具を入れる物置がある。
通子は、地下に降りて、研究室のドアが壊されていることに気づいた。
合板の粗末なドアの、二つある蝶番の部分が割けており、
木材の繊維でかろうじて繋がっている状態だ。ドア全体は傾きながら、部屋の方へと半端に開いている。
「蟹太くん、ドアが――」
「そう――ぼくが壊した」
蟹太と通子が研究室の戸口に立つ。通子は、部屋の中を見た。
雑然とした部屋。スチール製の安っぽい戸棚や机には、
紙束や書籍や薬剤の瓶や実験器具が雑然と積まれていて――これはいつも通り。
これまた安っぽい、一脚しかない椅子は倒れていて――これは普通ではない。
コンクリート打ちっ放しの、湿気でひびとしみのついた床には――
実験用の白衣を着た博士が、うつぶせに倒れていた。
「蟹太くん――」
通子の全身から血の気が引いた。
「ぼくが博士の家に着いたのはついさっきだ。玄関が開いていたので勝手に中へ入った――」
蟹太が口を開く。
「玄関で博士を呼んでみても答えがない。ぼくは靴を脱いであがった。
声をかけても出てこないと言うことは、博士は研究室にいるのだと思った。
研究室は地下にあるから玄関の声は届かないし、博士は、誰にも邪魔をされたくないときに、
研究室に鍵をかけて閉じこもるのを知っていたからね」
博士の後頭部には、赤く濡れた白髪がぐっしょりと張り付いていて――
「案の定、研究室には鍵がかかっていた。ということは、博士は中にいる。
ここの錠は中から下ろすか、博士がいつも持ち歩いている鍵でしかかからないからだ」
部屋から流れ出る空気は冷たくて、すえたタバコとカビの臭いが、
つまり久しく使っていなかった冷房をつけたときの臭いが――
「ぼくはこのドアをノックした。しばらくしても返事がないので強く叩き、それから大声で博士を呼んだ。
それでも、返事はなかった。さすがにおかしいと思った。
だって、研究室に閉じこもっているときでも、ぼくや通子ちゃんが遊びに来たら、
ほいほいと出てくるのがいつもの博士じゃないか」
しかし、冷房の臭いを圧倒しているのは、錆の臭い、酸化した鉄の臭い、そう、それは、
流されたばかりの、人の血液の――
「ぼくはドアを開けようと、激しくドアノブを回した。――錠は壊れそうになかった。
なにかよくないことが起こっているという予感は確信に変わっていたので、
ぼくはドアを壊してでも中に入ろうと思った。さいわい、このドアは安物だから、
ぼくの力でも蹴破れると思った。何度か蹴ったり体当たりをしたりして、ようやくドアが開いた」
スチール製の机の上に、厚くて重いガラス製の灰皿が、血に濡れて――
「そうしたら――そうしたらこの状態だ。見たところ、博士はそこの灰皿で後頭部を殴られたようで、
ぼくは犯人がまだこの部屋にいると思った。でも、もちろんこの部屋に人が隠れるところも、
逃げる窓もないのは見ての通りで――」
殺人現場。しかも、これは――
「これは、密室というんだ」
蟹太が言った。
*
「とりあえず、とりあえずだ。考えてみよう。博士が後頭部に傷を負って倒れているのは事実だ。
犯人は誰だ? なぜ、こんなことをしたんだ? いや、それよりもまず――
この密室で、犯人はどこへ行った?」
それが問題だわ、と通子は思った。
本当にこの部屋は密室なのか?
「どこかに――隠し通路とかあるかもしれないわ」
「なるほど。探してみよう」
通子が蟹太に言うと、少年はうなづいた。
殺人事件を目の当たりにした者が当然持つべき感情――恐怖とか、そういったたぐいのもの――
はもちろんある。しかしそれよりもまず、通子は、密室という現場で起きた事件に対する探偵本能に
突き動かされていた。
おそらく蟹太くんもそうだわ、と通子は思う。
それからしばらく、二人は部屋を捜索した。戸棚の後ろ、通気口、床、すべて調べた。
人が通れるような場所はどこにもない。
通子は、壊れた扉も一応調べた。たしかに錠はおろされたまま壊れていて、特別な仕掛けもない。
「密室だ――今のところは」
「そのようね」
では――、と通子は考えた。
本当に犯人はいたのか?
「博士が何かの事故で、自分で頭を打ったんじゃない?」
「いや、それはないな」
「どうして?」
蟹太は博士と、それから血に濡れた灰皿を指さす。
「何かに頭をぶつけたとしたら、そこには絶対に血が付いているはずだ。
例えば、博士が転んで机の角に頭をぶつけたとしよう。
なら、机の角には血が付いているはず。でも、この部屋で血が付いているのは、
博士の後頭部と、そこの灰皿だけ。偶然ぶつかったのなら、灰皿がある机の上に血が飛び散っているはずだ。
でも、それはない。博士が自分で灰皿を後頭部にぶつけてたとして、それなら灰皿は床に落ちているんじゃないか?
でも、灰皿は机の上にきちんと置かれている。書類の乱れもない。
意識を失う前に博士が灰皿を丁寧に置いたとも考えにくい」
「それに、博士の手に血が付いていないものね。この灰皿、明らかに手で握った跡があるわ。
ほら、血が、ここのところだけついていない。ちょうど指で覆われて返り血がつかなかったように」
犯行を行った人間は、博士以外に確かに存在する。
では、本当に犯行は密室で行われたのか?
「誰かが博士を灰皿で殴ったあと、部屋を出て、外から鍵をかけたんじゃない?」
「そうかもしれないが――」
蟹太は博士のかたわらにしゃがみ込み、白衣のポケットをいくつか探った。
「いや、それも駄目だ。ポケットにこの部屋の鍵があった。ほら」
と、通子も知っている、研究室の鍵を示す。
「スペアキーはない。この前、博士が鍵をなくして、大騒ぎをしたことがあったろう?
結局見つかったけど。スペアキーはないし、作らないって言ってたじゃないか」
「鍵はかかっていた。錠は中から下ろすか、中にいる博士の持っている鍵で外からかけるしかない。
つまり、蟹太くんが扉を壊すまで、この部屋の錠は、部屋の中からしか開閉できない――
でも、この部屋に犯人はいない」
そして、通子はぶるっと震えた。
「この部屋、とても寒いわ」
確かに、戸外の蒸し暑さとはうらはらに、研究室はとても寒かった。
通子は、博士の家まで歩いてきたうちにかいた汗が、とっくに引いているのに気づいた。
一階の居間に残してきた、口をつけていない麦茶のグラスは、さぞかし汗をかいているだろうけど――。
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